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にいつゆかこ

べきべき人間になっていませんか?

手放すとラクになる言葉に「べき」があるのをご存知ですか?
「あなたは〜こうするべきだ」
「わたしは〜こうあるべきだ」
正義感が強く真面目に生きようとしている人ほど、「べき」がたくさんあるのかなと思います。


実は私は、べきべき人間でした。
どんな感じだったかと言うと…


「私はいつも大切に扱われるべき」
「誕生日はプレゼントとケーキと花束で盛大に祝われるべき」
「どんな時も挨拶はするべき」
「朝からきちんと着替えるべき」
「ピアノは毎日練習するべき」
「先生の言ったことは聞き従うべき」
「何かいただいたら、きちんとお返しすべき」
「結婚まで性的な関係は持たないべき」

びっくりです!(もっともっと、あります)私は若い時から、見事にべきべき人間でした。自分の中の「べき」は自分だけでなく、まわりの人に対してもそれを要求するので、自分もまわりの人も苦しくなっていきます。それが良い考えだ、当然だと信じているので気が付かず、思い通りにならないので、ひとりでぷんぷん怒ってばかり!ある時、「べきを手放す」という記事を読んで、自分が発する言葉に気をつけてみたら、「べき」のなんと多いこと!べきだらけの会話に唖然としました。そしてやめよう、と思いました。

例えば、子供に対して
「朝のあいさつはすべき」
→朝起きてすぐって、しんどい時ありますよね…起きるだけで精一杯の時もある、個人差もあるので言えるときでいい。

「自分の部屋は片付けるべき」
→中学生、高校生、大学生、まわりに聞きましたら、男子女子関係なく、片付けしない子が多いらしいです!ゴミがゴミ箱に入っていたらよしとし、目指すは良好な関係。


「朝はきちんとした服装に着替えるべき」
→休みの日など、病気でもないのにパジャマのまま過ごす子ども達をみて、だらしないと感じていましたが、そういう過ごし方もある、ゆったりできるし、きちんとした服が汚れなくていいのかも、と考えるようになりました。今はご自由に〜です♪


「すべき」は言わば、いつの間にかできあがった自身の法のようなもの。べきべき言わなくなったら、自分も家族も(多分)とてもラクになりました。たまに「べき」は頭の中に出没しますが、そんな時は、誰の、なんの為の「べき」なのか、それを言うことで何かよくなるだろうか、と自問します。


どうしても「〜すべき」が放せない時は、「私はこうした方が良いと思う」に変換して考えます。


普段の生活の中で、思い通りにならない!とイライラぷんぷんすることが多ければ、もしかしたら「べき」が多いのかもしれません。何事もまずは気付きから♪


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